JR東日本「ひなび 下北」

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JR東日本が北東北(盛岡・青森(下北)エリア)出運行している観光列車「ひなび(陽旅)下北」号の運行が先週末にありました。
運行区間は八戸駅~大湊駅間(八戸~野辺地間は青い森鉄道区間)


昨年まで大湊線内を走っていた「リゾートあすなろ」2編成をリニューアル改装したうちの1編成が「ひなび(陽旅)」として生まれ変わりました。
昨年暮れの試乗会には私も抽選に当たって参加しました。(当該記事へ
その後、正式に運行が始まりましたが盛岡地区と青森地区との併用運行なので青森地区(八戸~大湊)は運行本数が少なく設定されていてなかなかお目にかかれませんでした。
この7月は4日間の運行でこの後は8,9月の大湊線内の運行は有りません。
(10月以降の運行日は未定)
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家の近くの踏切で上り列車(八戸行)をスマホで撮影(2024年7月20日撮影)
この踏切のすぐ奥手に単線非電化の大湊線で唯一の交換駅・陸奥横浜駅がありますのでお大湊線内のすべての列車が停車します。
「ひなび(陽旅)」も陸奥横浜に停車するので指定席券(orグリーン券)を買えば乗降できそうです。


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翌日7月21日はやはり上り(八戸行)列車を陸奥横浜駅から北側(大湊寄り)の踏切でデジカメで撮影。
昨年12月の試乗会では1人用ブース(半個室空間)で冬の陸奥湾の車窓からの風景を楽しませていただきました[るんるん]
夏も車窓に広がる陸奥湾の景色がいいんだけど8~9月の運行が無いのが残念。
改装前の「リゾートあすなろ」は2編成あったので大湊線内を週末やお盆休み期間はほぼ運行していたのになぁ

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踏切通過後に乗ってきた愛車と2ショット
どちらもホワイト&レッドの2トーンカラーです。
この撮影ポイントはなかなか良いポイントなのですが御覧のように線路脇の雑草が邪魔。
JRの敷地内なので勝手に草刈もできないし運行の支障になるほどでもないので保線係の人が除草しそうにもないのでもどかしい。
何処かで撮影の邪魔だって民有地側の木を勝手に切った撮り鉄が炎上していたけど気持ちは少しはわかるけどやってはいけないこととすぐ気が付かないとねぇ
秋になると今度はススキみたいなのが生えてきます。


[かわいい]ひなび(陽旅)の紹介ページ(JR東日本)はこちら

JR時刻表1988年4月号

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前々回に1987年4月号のJR時刻表の記事をUPしました。
のう30年以上も前の時刻表ですが日焼けを少しでも防ごうと黒い袋に入れてきちんと保管していました。
子供のころに集めていた記念切手と同様にこの貴重な時刻表の現在価格(オークション価格等)を検索してみてもそれほど値が付くようなものではなくちょっと期待外れでした。
実は同じ保管袋にはもう1冊時刻表がありましてこちらは1988年3月号のJR時刻表です。

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なかなか鉄道ファンの心を掴む表紙です。
表紙の文字にもある通りこの1988年の3月のダイヤ改正で3月に青函トンネルが開通、4月には本四連絡橋と国鉄時代からの悲願がJR発足1年後に達成されました。
これで”レールが結ぶ、一本列島。”が実現しました。

ちなみにこの号は豆本になっていないのですが第2弾があれば豆本化されそうな筆頭株だと思います。


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この春のダイヤ改正はJR発足後、初の全国規模の時刻大改正となりました。
青函トンネル、本四連絡橋の開通に合わせた列車増発もあって国鉄時代を通じても前例がないほどの大幅なダイヤ改正ということが時刻表冒頭のJRニュースで言及されています。
上野~札幌間に新たに豪華寝台特急「北斗星」が設定され青函トンネルを走り抜けました。本州側からは青函トンネルを通って函館まで延伸運転する特急も設定。
当時、東北新幹線の終着駅・盛岡から青森経由で函館まで運転される「はつかり」もありました。
トンネル内に2つの海底駅も誕生して海底駅見学の列車もありました(自分も参加しました)
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▲時刻表に掲載されていた青函連絡船のビデオ広告
当時はまだビデオカセット全盛という時代でした。

本四連絡橋を渡って四国には東京から寝台特急「瀬戸」が高松まで運転されました。
所要時間は10時間31分ということですが宇野~高松間の連絡船時代よりも東京~高松間は1時間近くの短縮になったということです。

他にもこの時に東海道・山陽新幹線に新駅が5駅できました。
東京寄りから「新富士」「掛川」「三河安城」「新尾道」「東広島」の5駅

首都圏では東北・高崎線の電車が池袋乗り入れ開始

京浜東北線のデータイム快速の運転が始まりました。
他にもたくさんの新機軸、列車増発が盛りだくさんのダイヤ改正です。


JR発足発足時の時刻表ではそれほど目立たなかったのですがこのダイヤ大改正号の時刻表ではこうしたカラー広告が目を惹きます。

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今ではいろいろ規制のあるたばこ広告
昭和の人気俳優(今も現役)の藤竜也さんが語りかけてくるように「うまいタバコ、喫っていますか。」とのコピー。
令和の愛煙家の皆さん、どうですか?



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この時刻表が発行された当時はバブル景気に日本中が湧いていました。
CMにも高額な契約料もなんのそので海外の大スターが登場
ゴルフ番組も地上波でたくさん放映されていてこちらのセベ・バレステロスもサッポロビールの広告に登場。
当時はまだ缶よりもビール瓶が主流


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こちらは当時さわやかCMで高感度爆上げのコカ・コーラ。
このモデルさんは松本孝美さんです。

自分が大学生のころの憧れのモデルさんでした。
かなりの売れっ子でSONYや他のCMでもよく見かけるようになっていたけど名前を知っている人は当時あまりいませんでした。
今のようにSNSなどはなくこうした情報が瞬時に大量に拡散されるようメディアがない時代自分だけが知っている情報というものってみんな多かれ少なかれ持っていてそれが秘かな優越感にも・・


最後の方は時刻表関係なく懐かしんでいるだけの記事になっちゃいましたね。

JR発足時のJNR編集 時刻表

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今朝(6/3)はスマホの地震震度速報で目が覚めました。
能登半島で震度5強との今後の揺れにも警戒です。
一昨日の土曜日は裏の小学校の運動会。
生憎の朝からの小雨模様で体育館での開催となった模様、自分が小学生のころは人数が多くて体育館で運動会をやるなんて発想がありませんでしたが少子化ならではの対応策です。

それでも朝6時に開催を告げる花火(空砲?)が鳴って飛び起きました。
小学校の運動会もコロナ禍で父母まで来校可能で祖父母や親せきは不可という扱いが続いていたけど制限なしとはいえ体育館では入場制限あったのかも?

カプセルトイの”豆ガシャ本 JR時刻表”の記事の続きです。
こちらは豆本ではなく本物の当時の時刻表となります。
1987年4月号 JNR編集 時刻表

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きっと将来手にはプレミアがつくぞ!と記念に購入して保管していました。
現在この時刻表をヤフオクで検索してみると驚くほどの価格はついていないようです。
大切に保管していたつもりですが紙の陽焼けがけっこうあってとてもきれいな保管状況とは言えないのでこれを売りに出すことはないでしょう。
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JR発足時の時刻表でJNR(国鉄)がJRに代わって編集。
これまでの国鉄の公式時刻表だったJTB時刻表のように国鉄”監修”ではなく編集というのも貴重(戦後間もないころに国鉄編集時刻表はありました)


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当時の新会社(JR)に寄せる希望が溢れる文面


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再度の登場となりますが豆本時刻表との比較


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掲載されている特急運転系統図
画像は北海道・東日本エリアです。クリックで拡大します。
当時はまだ上野口からたくさんの特急列車(寝台特急を含む)が設定されていました。
まだ青函トンネル開通前なので青森~函館間は青函連絡船が運航されていました。
画像左下には東京発着の往年のブルートレインの名列車の名前があります。

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当時の大湊線の時刻表(下り)
一日に8本の列車が設定されています。
現在は始発が早く、終電が遅く設定されているのでここら辺は赤字ローカル線と言えどもJR側が配慮してくれているのがわかります(通学利用に合わせたダイヤ編成)
下段は今では廃線になってしまった下北交通大畑線(旧国鉄大畑線)の時刻表
陸奥湾側の下北駅で大湊線と接続して津軽海峡の大畑駅までの路線で1985年には民間移行されていました。



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時刻表の裏表紙広告はスカッとさわやか・コカ・コーラ
コーラの瓶を持ってスポーツ観戦ですね

このころは企業のイメージ広告が全盛で広告界ではコピーライターが花形職業として活躍していましたね

1987年4月1日、まさにJR発足初日は大学の入学式を控えて高校時代の友人(男)と渋谷~青山周辺に遊びに出かけた記憶があります。
川崎駅のホームで進入してきた電車の側面に大きく白いJRマークを初めて見たのを覚えています。3月下旬から車両へのJRマークの貼り付け作業が行われていたけど4月1日までは確かJRマークを覆い隠して運行していたような気もします。
車両によってはやけに大きなマークだなぁと思うものもあったなぁ
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JR発足時に社名に通常の鉄道の鉄の字を使うと”金”を”失”うとなるからという”矢の文字をロゴだけに採用したというのも話題になりました。
(近鉄の方が採用していたのは先だったそうです)
でもJRとしては”矢”のつく
の字をロゴに使ったのは文字どおり矢(アロー):弓矢のイメージでスピードや目標に向かって一直線とかいう意味で捉えていたようです。