呼び込みくんmini

こん〇〇は!いつもご訪問いただきありがとうございます。

今回は昨年のクリスマス頃に入手したこちらをご紹介します。

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『スーパーサウンド呼び込み君ミニ』さんです。
プラモメーカーのアオシマさんから発売中。
[かわいい]アオシマ文化教材社のサイト(こちら[ぴかぴか(新しい)]

マッチ箱やジッポーライターほどのサイズで胸の黒いボタンを押すとお腹のスピーカーから音が流れます。
ポポ~ポポポポ ポポ~ポポポポ♪ ポポポポポ~♪
文字にするとよくわかりませんね[たらーっ(汗)]

スーパーや商店の売り場で大活躍のさうーぱーサウンド呼び込み君のミニサイズです。
通常版は軽快な音楽をBGMに録音されたお店の人の声でその日の勧め品をエンドレスで流してくれる店員さんに大人気の仕事道具なんです。
たぶん多くの方がお店で買い物した際に一度は耳にした音楽(BGM)だと思いますよ
[右斜め下]クリックすると[るんるん]鳴ります[左斜め下]

あ~どこかで聞いたことがある・・と思った人も多いはず
曲名もちゃんとあって「キッズ」といいます。


お店で使われている呼び込み君は群馬電機株式会社(群馬県)が2000年に店舗での販促商品として売り出した製品です。
[かわいい]群馬電機さんのHP(こちら[ぴかぴか(新しい)]
群馬電機さんは大手家電メーカーの製品に使われるリモコンの製造やLED表示器を製造しているメーカーさんです。

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私が買ったミニ版は792円(税込み)ですがお店で使われている本物は群馬電機さんのオンラインショップで23,980円(税込み)~32,780円(税込み)で販売されています。
[かわいい]群馬電機オンラインシップ(こちら[ぴかぴか(新しい)]

発売開始から20年以上経過していますが今でも売り上げ好調のようです。
年間3000台も売れているとか・・

私はよくスーパーで買い物をするのですが以前からこのBGMはよく耳にしていて鮮魚コーナーで流れる「お魚天国」と並んで店内BGMの双璧と思っています。
青森県内ではこの2曲に加えて県産品PR曲の「決め手くんが行く!」がよく流れています。



どれも一度聴いたら忘れられないリズムでお店側の狙い通りの効果は発揮されていそう(対自分的には特にテキメン)
残念ながらミニ版はエンドレスで曲が流れない(1回ごとにボタンを押す)仕様なのですが逆にお店のようにエンドレスで流れると気が付いてみれば部屋の中ですっかり洗脳状態になってしまうかも?
う~ん、危険な香り・・


アオシマのスーパーサウンド呼び込み君ミニは初回ロッドがあっという間に売れてしまい私は2回目の生産分を予約して適正価格で買うことができましたが人気が話題を呼び品薄時にはプレミア価格がついて取引されていましたが最近は落ち着いているようです。
アオシマさんもあまりに売れるのでびっくり[exclamation×2]


スカイネット スーパーサウンド 呼び込み君 ミニ

スカイネット スーパーサウンド 呼び込み君 ミニ



  • 出版社/メーカー: 青島文化教材社(AOSHIMA)

  • 発売日: 2021/12/18

  • メディア: おもちゃ&ホビー







▲amazonで税込み送料込みで792円なら適正価格(定価)です。
これ以上の価格はプレミア価格ですがそろそろ需要も一段落すると思うのでお安く買いましょう。

amazonが販売発送するものも800円台の設定になっているので1000円以下なら妥当なところなのかも?

むつ湾200マイルレース

こん〇〇は!いつもご訪問いただきありがとうございます。
前々回の記事で自宅近くに50年ほど前に存在した幻のサーキットをご紹介しました
『近所にあった幻のサーキット』(←クリックで記事へ)

幻のサーキット”むつ湾サーキット”について当時の様子を記録した文献やサイトが驚くほど少ない中、
当時開催されたレースの記録をJAFのサイトで見つけることができました。

レース場開設の直後、1973年8月18日・19日の2日かに渡って開催された
むつ湾グランド200マイルレース”の記録が残っています。


下記リンクをクリックすると当時のレース結果ページへジャンプします

【むつ湾グランド200マイルレース結果】

当時、流行っていた富士グラチャンレース(GC)規格のマシンを集めて開催された200マイルレースで当時国内で一線級のマシンが東北の辺鄙な街のコースに集結しました。
幻のサーキット”むつ湾スピードウェイ”は1973~1974年の営業でしたがJAFのレース結果検索ではこの開設直後に行われた”むつ湾200マイルレース”しか記録が残っていません。
JAFが公認するような規模のレースは後にも先にもこのレースだけだったのかもしれません。

当時の記録からレース開催の2日間の天気は晴れで路面はドライコンディションだったようです。
参加車両は13台で11台が決勝レースに出走。
レースは200マイルを2日間(ヒート1、ヒート2)に分けて1日100マイル(35周)で実施されたようです。
ヒート1とヒート2の結果で総合順位(レース結果)を決めました。
このレースで総合優勝したのは鮒子田 寛(ふしだ ひろし)の駆るシェブロンB21Pというマシンでした。


【むつ湾200マイルレース 決勝結果













































































順位Noドライバー車名
11鮒子田 寛シェブロンB21P
227米山 二郎シェブロンB21
355津々見 友彦デンティーン・シックローラT212
486田島 基邦RADOスペシャルB23
530宮崎 英雄フェアレディZ432 PS30
69東谷 正香フェアレディ240Z HS30
781貝崎 清志柏谷総業スペシャルT290
84
北野 元

NRDシェブロンB23
-72沢田 由夫
フェアレディ240Z HS30

-20斎藤 辰毘羅ベルコ72A
-8池永 和繁
フェアレディ240Z HS30






計測記録から1周のラップタイムを逆算すると01:10(1分10秒)と算出。
1周4.5kmのハイスピード・コースという記録がありますがトップのマシンの平均時速を計算すると230km/hになります。

このサーキットは海に隣接しているので路面に砂が乗る状況が常だったようなのでこの速度はちょっと驚異的です。

Wikkipediaの記述ではサニークラスで直線で250km/hに迫る速度が出たとあるのであながち計算違いということでもなさそうです。



上の懐かし番組の動画の中でこのむつ湾200マイルレースの様子が記録されていました。
ピットの様子やレーススタート時の様子も見ることができるので上の決勝結果のカーナンバーと画面の中のマシンと照らし合わせてみてください。

動画の中で観客数が3万人という言及があります。

このレースは富士グラチャンチャンピオン(GC)レース準拠での開催だったようですが私はグラチャンは殆ど知識がなかったのでこのレース結果のドライバーや車両について調べたみたらグラチャンに結構ハマりそうになっています。
※〇グラチャンチャンピオンであって
 ×グランドチャンピオンレースではない


優勝した鮒子田寛氏についても恥ずかしながら私は全然知らなかったのですが前年(1972)の富士グラチャンの初代チャンピオンでした[あせあせ(飛び散る汗)]
鮒子田寛さんについては”伝説のレーサー”とか”不出世のレーサー”とか呼ばれる日本レース史のレジェンドということも分かりました。

[かわいい]鮒子田寛氏についてはこのサイトが詳しいです[次項有]こちらをクリック

3位の津々見友彦さんについては私は自動車評論家という面しか存じ上げなかったのですが当時はバリバリのレーサーでした。

トヨタと日産の熾烈なバトルが展開されていた日本グランプリが両メーカーの撤退により終焉を迎えた日本のレース界において次なる人気コンテンツとして登場したのが富士スピードウェイで開催される富士グラチャン(GC)チャンピオン・レースでした。
日本グランプリのようなメーカーワークスからドライバーが主役のプライベーターのレースへと変貌したグラチャンは当時の国内のレース人気の中で盛り上がりを見せました。



1/43 TSM ローラ T280 HU3 富士グラチャン 1972 高原敬武 3

1/43 TSM ローラ T280 HU3 富士グラチャン 1972 高原敬武 3



  • 出版社/メーカー: ノーブランド品

  • メディア:






レース参加車両で馴染みのある名前はフェアレディくらいですが各車について調べてみるとこれまた面白い。
とくに私が興味を惹かれたのがカーナンバー#20のベルコ72Aというマシンは板金工場が製作したGC仕様の2座席レーシングカーです。
現在も株式会社ベルコとして特殊車両の車体製造も手掛けているようです。
ベルコ72Aについては同社のHPにスズキバンキン72Aとして記述があります。

[かわいい](株)ベルコのHP・ベルコの軌跡(こちら[ぴかぴか(新しい)]
1970年に開発されたスズキバンキン(ベルコ)72Aは新たに始まる富士グラチャン(GC)レースをターゲットにしたマシンだったと思われます。
ここら辺はもう少し勉強しないと・・・

恐らく今回の記事では自分よりも上の世代のモータースポーツファンの方には懐かしい名前もあったのではないでしょうか?
地元の人の中でこのレースを現場で観ていた人がいないか今後調査してみようと思います。
観客数3万人が事実ならとなり町でのこのビッグイベントに当町からも参加した人が多かったはずと推測します。

1974年版ドラマ『日本沈没』

こん〇〇は!いつもご訪問いただきありがとうございます。


昨年末からamazonプライムビデオで視聴を始めた懐かしのTVドラマ『日本沈没』全26話を見終えました。
TBS系列で昨年秋からのクールで『日本沈没~希望のひと~』が放送されていましたがその内容にあまりにも失望したので自分が子供の頃に観て今でも印象に残っているこちらの作品を改めて見直してみようと思い視聴を始めました。
『日本沈没~希望のひと~』はかつてのドラマ版『日本沈没』を制作したTBSが令和の世に改めて制作する作品ということでかつてミニチュア特撮で再現された日本が沈む行くシーンが最新のCGを駆使した映像で再構成されるのだとばかり思っていましたがかなり内容の改変もあり失望しました。

ちょっと過度に自分の中で期待しすぎていたのも原因ですね
日本沈没を早期に予言した田所博士役の小林桂樹さん(1974ドラマ版&1973映画版)と|希望のひと~版の香川照之さんの演技(演出)の差をみれば両作品の内容の違いがはっきりと分かるポイントですね

今回は1974年版ドラマのオープニング(タイトル)のご紹介です。
当時、リアルタイムでご覧になられていた方には懐かしい?
ちょうど当ブログの前記事(陸奥湾サーキット)と時代が連続しています。



冒頭は美しい日本の風景が流れます。

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噴煙は見えるものの穏やかな桜島の光景。
桜島も大爆発で阿蘇山の噴火もあり九州の南半分はドラマの中でも早い時期に沈没してしまいました。

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中禅寺湖と華厳の滝
作品の中では特に描写はなかったような気がしますがオープニングタイトルの冒頭はこうした美しい日本の風景が背景に流れます。


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つづいて姫路城。
姫路は作品の中でも早期にに大地震に見舞われてっこのお城も激しく崩れ落ちます。
お城が壊れるシーンは東宝の他の怪獣映画にも流用されているそうです。


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番組主題歌を歌うのは五木ひろしさん。
作詞作曲も豪華な顔ぶれです。
この歌も私の中ではかなりはっきりと印象に残っていてちゃんとメロディも覚えていました。
幼児といわれる頃の記憶ってどうなっているのかなぁ?
今回は歌詞の意味もしっかり確認できました。
歌番組で過去に五木ひろしさんが歌唱している場面は観たことが無いんですがコンサートとかのセットリストに入ることはあるのかなぁ?
最近久しく耳にしていない”いかにも日本の歌謡曲”といった名曲です。
五木ひろしさんは作品中にもゲスト俳優として出演。


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こちらは関門橋
周辺の工業活動な盛んな当時の様子を反映していてちょっとスモッグがかかったような映像です。

戦後の日本人が作った立派な構造物の象徴として登場。(他に東京タワーのカットもあり)
こちらはドラマの中でも崩落するシーンはなかったような気がします。
日本の穏やかな日常の光景はここまでです。


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一転して海中シーンです。
こちらはドラマの前半で大活躍する深海調査艇”わだつみ”です。
現代のJAMSTECの有人潜水艇”しんかい”よりもデザイン性が高いものとなっています。
10,000mまでの潜航が可能という設定。
当然実物は存在せず模型と船内セットでの撮影。
このわだつみのパイロット・小野寺がドラマの主人公です。
ドラマ版では村野武範さんが演じていますが先行上映された映画版では藤岡弘、さんでした。
村野さんと沈みゆく島の子供たちとの共演シーンは青春ドラマ風というかそこを狙った演出?


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海中での抜群の機動性を誇る”わだつみ”
当時この特撮シーンが子供だった自分にはウルトラシリーズに登場するメカと同様に憧れのメカでした。
細川さんはドラマ途中で降板だったそうです。
仲谷さんは悪役でしたね ”カノッサの屈辱”で知るようになった俳優さんです。


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民間所有の”わだつみ”のチャーターを目的を秘匿して自由に使えない場面が増えてきたのでD計画本部(極秘の日本沈没の対策機関)が購入したのがこのフランス製の深海調査艇”ケルマディク”号です。
以後、小野寺はわだつみには乗らずこのケルマディク号がメインに・・
最後は爆弾を満載して大勢の避難民を乗せた船舶が東京湾を脱出する際の障害になってしまった海底隆起した個所で自爆(小野寺は直前に脱出)
岡本信人さんは小野寺の妹の婿という役柄でケンちゃんシリーズで子供の間でも人気でした。
TBSと東宝の共同制作なので俳優陣が豪華です。


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ドラマ中盤では京都が巨大地震で壊滅しますがこの清水寺の舞台も骨組みがゆらゆらと・・
かなり揺れてもなかなか崩れないのは古代日本の木造建築の賜物か?(でも最後は倒壊)
この中でお坊さんが最後の瞬間まで一心不乱にお経を唱えていました。


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CGなど無い時代の作品なのでミニチュアを使った特撮がふんだんに使われています。
ちょっと過激(大袈裟)な演出ですが実際にこの規模を上回る大津波を経験した我々が改めてこうしたシーンを見るとCGよりもリアルに映るのは不思議です。
ドラマの中で関西夫婦漫才のレジェンドのお二人は小野寺が暮らす青山のマンションの管理人夫婦役です。

他の放送回ではウクレレ漫談の牧伸二さんや落語家の林家木久蔵師匠も登場しています。

シリアスな番組内容に対して人気者を使ったほっこり要素といったところでしょうか?


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金閣寺も京都大地震で池の中に埋没してしまいます。
池の水が泡立って金閣寺が吸い込まれていくシーンはちょっと怖いですね
崩壊というより呑み込まれていく感じ

今でいう液状化現象なのか?

特撮技術はウルトラセブンでもお馴染みの高野宏一さん。

このころは円谷プロを離れていて特撮ものの”レッドバロン”などの監督(演出)もされていたようです。


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ラストシーンはD1計画が所有する飛行艇「おおくに」の飛行シーン。
機体後部に”わだつみ”も積み込むことができますがちょっとスケール感が違って実際には無理設定だと思います。
活躍シーンは数話ほどしかありませんでしたがまるで帰ってきたウルトラマンのTACのメカのようなカラーリングに子供ながらに痺れた記憶があります。

ドラマの中で登場する自衛隊のヘリなどもミニチュア模型で撮影されていて今からすると本当にチープな印象ですがこうした特撮で育った世代だからなのか今見ても割りとすんなり受け入れられます。

けっこう手に汗握るシーンも満載で視聴している間は毎日楽しみにしていました(1日1話ずつ視聴するようにしていました)


日本沈没はこの1974年のドラマ版の前年1973年に映画化されたのを初めに2006年には草彅剛さんと柴咲コウさんの映画が公開されました。

その後2021年にドラマとして「日本沈没~希望のひと~」が放送されましたが過去の全作品中に一番お勧めしたいのはやはりこの1974年のドラマです。


お勧めする理由は色々ありますがやはり日本が沈没するのに単発映画の枠内や1クール(全12話)のドラマでは内容的に不十分といった点ですね
ドラマの内容以外にも当時の風俗(Hな方でなく)もよくわかります。

小道具なんかも”これ家にあった”なんていう懐かしさも・・

昨今の日本ではこのドラマの放送後に起きた数々の大震災、火山噴火、大津波に足してのはりょが必要となりこれほどの大パニック作品はもう作ることができないかもしれません。

そうした観点からも自分としては貴重な作品として残したいし記憶にも残したいと思います。

なお今回ご紹介したオープニング映像の直前にはちょっとオドロオドロシイ音楽とともに日本列島が浮かび上がった映像の後にこのようなテロップが流れてオープニング映像が始まります。
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一人の作家とは原作の小松左京氏のことですが過去の日本人が経験したことのないようなパニック作品なのでよく使われる「この作品はフィクションであり実際の・・」といった文言のテロップではなくこのように”空想科学”という文字で更に強くフィクション性を強調したのかもしれません。(クレームは小松氏に・・って感じにもとれますね)

空想科学ってウルトラマンにも使われていなかったっけ?


飛び散る海

飛び散る海



  • 出版社/メーカー:

  • 発売日: 2021/11/01

  • メディア: Prime Video





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日本沈没

日本沈没



  • 出版社/メーカー:

  • 発売日: 2013/06/01

  • メディア: Prime Video





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