【バンダイ】ARX-7アーバレスト

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フルメタル・パニック!のTVアニメ最新作(シリーズ4作目)のInVisible Victory(略:IV)も先日放送終了を迎えました。

私はきちんと同シリーズを見ていなかったのでamazonビデオでシリーズ1作目~3作目を追っかけ視聴して何とかオンタイムでIV版の最終話を見ることができました。

ということで以前予告していた通り(?)バンダイから発売されているこれを購入。

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バンダイのASキット 1/60スケールのARX-7アーバレスト(Ver.IV)です。

初回生産分があっという間に売り切れて高値の市場在庫品を掴むことなく今回の再生産を待ちました。
ガンダムでのMSに相当するのがこのアーバレストのようなAS(ARM SLAVE)アームスレイブです。

全長は8.5m(アーバレストの場合)程しかなく18mあるMSと比べるとかなり小柄。
小型MSのF91(15m )に比べてもまだ半分ちょっとという大きさです。

ガンプラのHGやRGの1/144スケールに対してバンダイのASキットは1/60スケールで展開されていますがキットを組むとガンプラと同じくらいの大きさになりそうです。
私はフルメタルパニック!のASキットを作ったことはないので今後バンダイでもシリーズ展開されるこのシリーズに期待しちゃいます。



ASのキットではバンダイは最後発のメーカーということで既存の他メーカーのキットよりも当然出来が良いようです。
キット価格はガンプラのRGシリーズ並みの価格なのですが部品点数も多く、成型色での色分け再現もほぼ完ぺきということで無塗装の簡単フィニッシュ製作法でもクオリティーの高い完成品が手に入りそうです。
ここら辺は安心のバンダイ製品といったところですね。

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▲キットのランナー構成
前述の通り見事に完成時の塗装を再現している色分けされたランナーはちょっと多めかな?
価格相応といったところでしょうか?(良い意味で)
1つだけアンダーゲートのパーツがあります。メッキやクリアーパーツではないのですがちょっとこの段階ではアンダーゲートにした理由がわかりませんがちゃんと理由あってのことでしょう。
今回は仮組をする前の記事投稿なので全塗装する場合の後ハメ加工の必要性とかの判断はできないのですが流石にここ案で色分け再現が完璧に近いともう無塗装で組みたい!という欲求が湧いてきます・・でもちょっとせっかくの地上近接戦闘主体のASキットなのでAFV的な要素を取り入れた塗装表現もしてみたいですね。


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▲キット付属のデカールはこれだけです。
一部塗り分け再現用のものとMSでいうカメラアイ部分の再現用?
頭部のカメラユニット部の再現にはクリアパーツは使われていないようです。

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▲パッケージアートから
フルメタの世界はガンダムとは違い宇宙空間が戦場になることはなく戦場は地上。
ジャングルや荒野での戦いや市街戦なんかもありますのでASの機体の外装はこんな感じに汚れや傷で覆われているはず。
昔ガンプラで流行った”ハゲチョロ”なんて技法だけでも何となくそれらしくなりそうです。
最近じゃ”ピグメント”とか使って再現するのが主流?


すぐにでも取り掛かりたいのですがまずは製作途中で放置しているキットを最優先で・・・

フルメタル・パニック! レーバテイン Ver.IV 1/60スケール 色分け済みプラモデル

フルメタル・パニック! レーバテイン Ver.IV 1/60スケール 色分け済みプラモデル



  • 出版社/メーカー: BANDAI SPIRITS(バンダイ スピリッツ)

  • メディア: おもちゃ&ホビー




▲戦闘で大破したアーバレストの後継機もキット化される予定です。
IV版終盤では無双状態の大活躍


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『がいなもん 松浦武四郎一代』河治和香 著

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さて、松浦武四郎という歴史上の人物をご存知でしょうか?

”北海道”の名付け親といったら「あぁ」と思い出される方もいるのでは?
幕末から明治初期にかけて蝦夷地と呼ばれていた北海道を6度にわたり調査探検した人物です。
健脚で旅好きの松浦武四郎は初めは個人的興味で蝦夷地を探検しアイヌと交流して知見を深めました。

次第に蝦夷地の有用性(豊富な資源)・重要性(ロシアの南下政策に対抗)が認識されるようにあると公務としてさっらに調査探検をするようになります。

松浦が各地のアイヌが”和人”により搾取され厳しい生活を余儀なくされこのままではアイヌ民族は絶滅してしまうと為政者にアイヌの窮状を訴えるも状況を打開できぬまま自分の無力さに晩年は自ら名付けた”北海道”には足を踏み入れることはなかったといいます。

私自身この松浦武四郎のことを知ったのはもうかなり前の話で池波正太郎の「菜の花の沖」という作品に少しだけ名前が出てきたことがきっかけだったように思います。

その後、彼の生涯を綴った「北海道人 松浦武四郎」という佐江衆一氏の著作を手に取ったのですが大作なのでなかなか最後まで読み切れませんでした。
佐江衆一氏の「北の海明け」という江戸時代に蝦夷地のアイヌを和人化するために幕府によって鎌倉五山の僧侶たちを蝦夷地に送り込み仏教徒へと教化する話にも当時のアイヌの実情が描かれています。
※松浦の時代よりも更に時代は古い話です。

北海道人―松浦武四郎 (講談社文庫)

北海道人―松浦武四郎 (講談社文庫)



  • 作者: 佐江 衆一

  • 出版社/メーカー: 講談社

  • 発売日: 2002/12

  • メディア: 文庫




来年(2019年)は蝦夷地が”北海道”と呼ばれるようになって150年の年に当たるそうです。
明治2年(1869)に松浦が北海道と名付けたとされてからもう150年が建ちます。
節目の年ということで北海道では様々なイベントが開催されると思われますがNHKではこの北海道の名付け親といわれる松浦武四郎のドラマを制作するそうです。(放送は2019年予定・単発ドラマ)
北海道150年記念ドラマ「永遠のニシパ~北海道と名付けた男 松浦武四郎」詳しくはこちらを!


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ドラマの原作ということではありませんが河治和香さんの「がいなもん 松浦武四郎一代」を昨日読み終えました。
初めはてっきりドラマの原作と勘違いしていたのですが読んでみるとなかなか読みやすい内容でした。

もう少し蝦夷地探検旅行の詳細やアイヌとの関りが細かく描かれているのかと期待していたのですが松浦武四郎の入門編といったところですかね、読みやすさという点では夏休みの小中学生の読書感想文には最適だと思います。実際今年の夏休みの宿題で読む子も多いだろうなぁ~
ちなみに装丁のイラストはアニメ監督の”りんたろう”さんによるもので手に取りやすい親しみやすさがありますね。
表紙のイラストの中央に座る人物が松浦武四郎。
隣で紙と筆を持っているのが作中に登場する”おとよ”さん(日本画家でのちに女子美初の日本人教授になった人物で晩年の松浦老人の良き話し相手で物語は松浦老人がおとよに自分史を語る形で進行しています。

作品の中で松浦老人が当初”北海道”ではなく”北加伊道”と政府に進言したいと思っていたという一節があります。
海が加伊とあるのは”カイ”という言葉が古いアイヌ語で「この国に生まれたもの」という意味があるそうです。

迫害を受けるアイヌに代わりせめて土地の名前にアイヌの土地(国)であったという隠れた意味を持たせたかったようです。
今では当たり前の蝦夷(えぞ・えみし)という文字の音読みも素直に読めば”カイ”と読めるともあります。
蝦とはエビという漢字で音読みでは”カ”か”ガ”というのが普通というか蝦夷を”えぞ””えみし”と読むよりも”カイ”と呼ぶ方が本当は普通のような気もします。
ちょっとこれは目からウロコでした。
私の住む青森県も古代は蝦夷と呼ばれた東北アイヌんが多く住んでいた土地で北海道のような変わった読み方をする地名が今でも多く残っています。
近場では尻屋(しりや)、尻労(しつかり)、奥内(おくない)、奥戸(おこっぺ)、浅虫(あさむし)などちょっとアイヌを身近に感じています。


さてドラマの方は松潤と深キョンの共演ということで放送が今から楽しみです。



がいなもん 松浦武四郎一代

がいなもん 松浦武四郎一代



  • 作者: 河治 和香

  • 出版社/メーカー: 小学館

  • 発売日: 2018/06/08

  • メディア: 単行本






二ツ森貝塚

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先日ユネスコの世界遺産の国内推薦が決まった"北海道・北東北の縄文遺跡群”を構成する遺跡の一つである”二ツ森貝塚”に立ち寄りました。

青森県には三内丸山遺跡の他にも縄文時代の遺跡が複数あって我が家から一番近い遺跡がここ七戸町にある二ツ森貝塚です・・といっても県内でもあまり認知されていないというのが実情でわざわざここを訪れるという人は少ないと思います(少なくとも私の周りにはいません)。

私は以前から名前は知っていたのですがなかなか立ち寄る機会に恵まれなかったのですが最近私がよく通るようになった道から少し入った場所にあるようなのでちょっと寄り道をして立ち寄ってみました。

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二ツ森貝塚は今から5,500年~4,000年ころまで1,500年ほど続いた縄文前期~中期の定住集落跡で貝塚も同じ場所で発掘されています。
年代的には三内丸山遺跡と同年代。

人々がここで暮らしていたころは現在の小川原湖は太平洋に接する湾として海岸線(湖岸線)は現在よりもかなり内陸にあったようです。

この二ツ森貝塚は現在は台地の上に位置していますが当時はちょっとした岬のようになっていてすぐ脇の海岸まで下れば豊富な魚介類が手に入ったと思われ貝塚からはハマグリ、ホタテ、牡蠣、シジミなどが出土しています。
現在の小川原湖はシジミ漁が盛んで私もこの付近の道路を通る理由の一つが新鮮なシジミを買い求めるためなのです。
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▲当時の海岸線の解説板
ここは木の実や魚介類が豊富に間近で手に入る”まほろば”だったとのこと


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現在の二ツ森貝塚はこんな感じで道路脇に広がった草地といった印象です。
この道路自体はあまり交通量も多くなく地元住民の生活道路といった様相で交通の便は至極良いのにあまり知られていない要因になっているようです。
二ツ森貝塚は国の史跡に指定されていてこの草地は遺跡の東地区にあたり史跡公園となっています。
史跡公園の中央部に竪穴式住居の復元モデルが建っているので何も知らずに偶然この道を通った人は驚くかもしれません。

ちなみに二ツ森遺跡の西側地区も国の史跡に指定されていますが現在は集落が存在する私有地が大部分を占めているように見えます。
縄文時代の遺跡の上で暮らしているなんてどんな気分なのかなぁ~


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この史跡公園には道路を挟んだ反対側に見学者用のわずかな駐車スペース(自家用車サイズ)があるだけで特にこの遺跡の出土品等を展示している建物はありません。
代わりにこのプレハブ小屋(案内所)に遺跡を紹介するパネル展示とパンフレット類が置かれていました。
常駐の案内人とかはいない模様で室内は蒸し風呂状態[あせあせ(飛び散る汗)]なのでパンフレットを数種類もらって退散。
出土品等の一部は七戸町の公民館で展示されているようですがここからはちょっと離れているので車で移動しないといけませんようなので今回はパス(もらったパンフレットで確認するのみ)
案内所の脇に展望台がありましたが全体を一望する意味もなさそうな広さの史跡公園なので展望台には上がらず遺跡公園の中央にある復元された竪穴式住居まで歩いてみました。


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この二ツ森貝塚では道路の遺構も見つかっているようですが案内所から復元された竪穴式住居へと続くこの道がそうなのか?

右側の林のあたりで台地は終わり崖になっています。
よーく見ると林に向かって傾斜していますね
発掘の形跡はもうよくわかりません。埋め戻したのかなぁ?
やはり現地に出土品の展示施設があったらいいのに・・・


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復元展示されている竪穴式住居は2棟のみでちょっと寂しい感じです。
もし世界遺産に認定されたらもう少し展示や解説方法を考えないとちょっと物足りません。
三内丸山は現在では県内を代表する観光名所となって立派な展示施設も隣接してちょっとした縄文テーマパークのようになっていますが遺跡規模を考慮してももう少しこちらはなんとかならないものか?
バスの駐車スペース程度の整備は早急にした方がよいのでは?

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復元された竪穴式中のの内部です。
私はこの手のものはかなり見学しているので正直それほど新鮮な発見はありませんでした。


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頂いたパンフレットの表紙にもなっているこの鹿の角でできた髪飾り(櫛)がこの遺跡を代表する出土品のようです。

左右対称(シンメトリー)というのが当時の美的センスを代表するデザインなのかなぁ~

食料を採取できないような荒天の日に竪穴式住居で誰かが一生懸命に作ったのかなぁ
ヒスイや角のような固いものに長い時間をかけて穴をあける行為自体が当時の人々にとって特別な価値のある行為(生産物)だったとかなんかの本で読んだなぁ


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もう一つこの二ツ森貝塚で発掘された有名なものに子犬を手厚く埋葬した形跡があります。
当時から犬は人間に身近な狩猟の際の相棒でケガをした犬も大事にケアして天寿を全うさせていた形跡もあるようです。(骨折の治癒痕とかでわかるらしい)
ケガをしてうまく働けなくなっても餌を与えて飼い続けていたようです。


ちょっと遺跡のある地形について説明。
前述の通りこの遺跡は台地の上にあります。1-IMG_7063.JPG
グーグルアースの3D衛星画像でみると現在の小川原湖西域によくみられる台地の端部付近にこの二ツ森貝塚はあります。(画像中央の開けた平地部分)
この台地の先端部は当時の海面が今よりも高かったので台地の周りは海ということになりまさに岬だったと思われます。

上の画像で台地の周りの平野部(当時の海面)には田畑が広がっています。
古代の集落遺跡というと川のそばの開けた土地というイメージが私にはあるのですが農耕が本格的に始まる縄文のこの時代でも飲料水の確保というのは必要だったはずですが川筋のない台地の上でどのやって飲み水を確保していたのか?
現在の小川原湖は吃水湖ですが当時は湖ではなく海(湾)でしたので真水の確保は湾(小川原湖)に注ぎ込む川まで汲みにいていたのかなぁ?
それとも台地を下って海岸線付近に湧き出る湧き水でもあったのかなぁ?
ブラタモリで調べてくれないかなぁ?


下の画像は遺跡を含む周辺の広域画像です。

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画像の右に広がる水面が現在の小川原湖です。
画像の左から小川原湖に注ぎ込むのが七戸川(高瀬川)で右下の道路が交差するあたりが旧東北本線(現在の青い森鉄道)の駅で周辺部はここら辺では人口が集中してる地区。
一方、遺跡のある左側の地形は細長い台地が幾筋もあります。
水面が上昇したらこの辺りは三陸のようなリアス式海岸になっちゃいそうです。
面白いのは周辺に広がる平地部には現在でも集落があまりなくて田畑として利用されていて台地の上のわずかなうsペースに道路が通り現在でも集落が点在しています。

まとまった平地がない狭い台地の上に現在も人が住み続けているのがちょっと不思議。

湖周辺の平地は低湿地なので灌漑(排水)をして農耕には何とか利用できたけど人が住むのには向かなかったのかなぁ?全然このあたりの町史とか知らないので勝手に想像そています。


遺跡自体は報道によると国内推薦候補になってもユネスコの審査にどう対処していくのか?難関だそうです。
しかしそうなれば二ッ森の住民の皆さんは世界遺産の上で暮らすことになるんですねぇ~羨ましいけど家の増改築とかいろいろ規制を受けそうで心配。







知られざる縄文ライフ: え?貝塚ってゴミ捨て場じゃなかったんですか!?

知られざる縄文ライフ: え?貝塚ってゴミ捨て場じゃなかったんですか!?



  • 作者: 譽田 亜紀子

  • 出版社/メーカー: 誠文堂新光社

  • 発売日: 2017/03/07

  • メディア: 単行本






縄文発掘セット(土器発掘・復元体験キット)

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  • 出版社/メーカー: エコール教材

  • メディア: おもちゃ&ホビー